がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

高原英理『エイリア綺譚集』(国書刊行会)

箱入りハードカバー。豪華!

エイリア綺譚集

エイリア綺譚集

作者がいろいろなところに寄稿した短編と書き下ろし中編をまとめたもの。通してみると、かなり「語り」を意識しているように感じます。それぞれの媒体やテーマによって、文体を割とトリッキーに変えながらも、芯となるゴシックだったり幻想だったりというところはしっかりと残しているようです。あえて共通項を見いだそうとすると、SF的趣向、文体、そして文芸的教養からの離陸、みたいなのが本書のテーマとしてくくることができそうでした。

もとより好きな趣向の作家ではありますが、過去の作品と比べて明らかに何か新しいものがここにはあって、それもまた楽しかった。

「青色夢硝子」月の夜に博士が残した装置を使って夢物質を取り出そうとする少年たち……オカルトの直球という感じ。本書にはSF的趣向やガジェットのエッセンスを使った幻想小説が多く、本作品はだいぶオカルトよりであるが、出てくる幻想的なオブジェクトの背後にはなんらかの因果律があるように感ぜられて、とてもよいです。こういうの、単語だけ取り出すと素人の同人誌でも同等の趣向は見られると思うんですが、それを最初から最後まで同じ強度で書ききるのは相当難しいと思いますね。

「林檎料理」とにかく語り口が全て。それが世界です。リズム。後続の作品にも同じような趣向が見られます。「青色夢硝子」や過去の幻想味の強い作品からするとこのポップさは意外かも知れないけれど、「うさと私」を書いていた作者ならば納得しますし、ゴシックを追っている作者ならばなおさら。

「憧憬双曲線」あとがきによれば中井英夫のような幻想短篇を目指したとあります。他の作品と比べて際立っているのはこの作品には「結末」があるということ。なので確かにミステリーの流れの中においてもおかしくない幻想短篇になっていますね。探偵小説の幻想性を好むぼくとしてはこういった趣向は歓迎なのですが、作者が「もうこういうものは書かないだろう」と書いてありますし、この作者の持ち味は「結末」にはないという実感もあります。

「石性感情」石になっていく奇病にかかったひとたちとの交流を書いている。これもSF的趣向と、語り口によるリズムという本書をよく著す作品になっています。石になっていく人間はどんどん主観的時間が引き延ばされていくという設定で、それだけで面白いです。

「猫書店」アンソロジー『猫路地』収録。「ガール・ミーツ・シブサワ」もそうだけれど、本作品もエッセイのような不思議なお話のような、そのあわいにあって、作者の脳を少しだけ見せてもらったかのような快感がありますね。

「ほんたうの夏」人の死に絶えた世界で生きる二人が、鎖されたロックを超えて本当の夏を探しに行く話。設定にはだいぶSF色が強いけれど、その上に載っているのが「本当の海、本当の夏」という情緒であるところが強いんですよね。

「出勤」これはとても好みの作品でした。一見普通の日常のことを書いているかのようなすべりだしで、同じテンションのまま異様な光景を淡々と書いていくんですが……とつぜん異形が配置されてきます。出てくる人の身体を元にしたグロデスクな存在たちが、それっぽい名前を付けられ、何かのコレクションのような体裁になって提示されるのが面白い作品です。

「穴のあいた顔」とりとめがないようなものを、絶妙な距離感のまま文字に落としたような作品で、タイトルのちょっと不安定でこころがぞわっとする感じが最後まで続きます。普通ならなかなかこうは書けないです。

「ブルトンの遺言」現実の文学者に言及するという意味もあるけれど、文芸エッセイからの飛躍と言うよりはちゃんと小説していて、やはりSF的な近未来幻想に直結されていくんですよね。ここでいう実在の小説家や詩人といった存在は、俳句における忌日みたいな、固有名詞として存在することには何らかの意味づけがあるものの、使われた瞬間にいろんなものがそぎ落とされてそれぞれの感じるエッセンスだけの存在になっていそう、そんな感想を持ちました。

「ほぼすべての人の人生に題名を付けるとしたら」これも本書らしい作品で、心をささくれ立たせるようなリズムで、少しSFめいた世界を提示ししてくる。「食べるのがおそい」という文芸誌に寄稿されていたこともあり、かなり意識して難解な語りを使っているようにも思いました。

「ガール・ミーツ・シブサワ」作者も後書きで書いているように、エッセイ風の小説を目指しているとのことで、ひとりの元ゴスロリ女性が死に至って、幽霊として故・澁澤龍彦の人生のいろんなシーンを目撃していくという建て付けになっています。なかなかすごくて、語り手の女性をつうじてジェンダーの矛盾にまで踏み込んでいっています。そのあたりの思考の流れはともするとエッセイに容易に引き戻されてしまうと思いますが、差し挟まれる澁澤龍彦の消息によって、小説として踏みとどまっているようにも思います。なんだかふしぎな体験でした。