がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

佐藤りえ『景色』(六花書林)

短歌をされている方として知り合った佐藤りえさんが句集を出されたと聞いて楽しみにしてました。

景色

景色

旧かな有季定型であり(もっとも無季は結構ある)、過度に奇をてらってもいない、かといって、ただ佇まいがよいだけで後に残らないというわけでも無い、とても難しいことをさりげなくやっていて、非常に憧れる句が多かったですね。「すべてのクリーチャーに捧げる俳句集」と帯にあるけれど、こころの通ってないものに対するさみしさと愛おしさみたいなものを感じます。

いくつか句を引用しつつご紹介

佐渡島「飛沫がすこし気持ちいい」

奇をてらってないと言いつつも最初に取り上げるのは無季かつ、かっこあり、という「奇をてらってる」側の句のうちのひとつ。でもこれは成功していると思います。

佐渡島が動かないんですよこれ。佐渡島って本州に近いせいか、かなり存在感と親近感があるけれど、島は島で肝心なときには何となく疎遠にされている感じがあるんですよね。そこが「少し」に出ています。たとえば「隠岐の島」なんかは似た位置にいるんですが、島流しのイメージが付いちゃうので、そこはフラットな佐渡島が良いわけです。他にも島はあるんだけど、大きすぎるか、遠すぎるか、知名度が低すぎるんじゃないでしょうか。

アストロノート蒟蒻を食ふ訓練

帯にて引用されている句だがこれも良いですね。本句集には宇宙ぽいテーマの句がけっこうあるんですが、だいたいよい。宇宙飛行士といわずにアストロノート、と書くと少し間抜けな感じが出てきますが、それが蒟蒻という気の抜けた物体、そしてなんだかよくわからない訓練に繋がっていく感じがあります。宇宙の「わからなさ」も内包している。

横浜も新横浜も驟雨かな

○○という地名があって、それに新がついた新○○という地名がある、これって横浜に限らずいろんなところにあると思いますが、そこは地名を並べただけなのに歴史があって時間の流れが強く感じられます。驟雨はにわか雨ですが、その時間の流れのなかにさっと雨が降っている様子が出てきています。また地名自体に深みが無くて都市の名前をさっぱりと読んでいるだけなので雨なのにどこかドライな感じがあって面白いです。

バスに乗るイソギンチャクのよい睡り

「よい」が良いのですこれは。バスに乗ってゆられているといつしか眠くなってきて、世界と自分との境目が曖昧になっていくわけですが、それがイソギンチャクという言葉と実に上手く合っています。

凍鶴を引き抜く誰も見てゐない

動かない鶴を凍鶴といいますが、これはかなり季語らしい単語だとおもうんですね。季語らしい単語ってちょっとレトリックすぎる感じがあって面白いんですが、ぼくは使うときにちょっと衒いがある。そのちょっとしたレトリック感を「引き抜く」というファンタジーとして処理したところがよく、さらに「誰も見ていない」ことによる現実と空想のあわいをよくあらわしているいい句だとおもいます。 その他良いと思った句を羅列しておきます。冒頭で書いたわりには思ったより選んだ句は無季が多かった(汗

開かれるまでアルバムは夜の仕事

蓋という蓋に地獄と書いてある

踊れない方に加はるクリスマス

兔道歩いて行くの裁判に

エクレアを寄ってたかって割る話

生存に許可が要る気がする五月

中空に浮いたままでも大丈夫

炎天の隣の駅が見える駅

灰皿に画鋲混ざつてゐる良夜

灯りからひかりが逃げる西鶴

閉ぢてなほ明るき青果店に冬

抱きしめてやれぬストーブを点ける

冬山に人工知能凍ててをる

盆の窪押されて春のこゑが出る

首か椿か持てない方を置いて行く