がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

尻手駅が好きだった

もう10年くらい前になるのかな、仕事で立川に通っていたことがありまして、いろいろルートはあったんですが、着席して行けるってことで、南武線を川崎から立川まで乗車していました。長い乗車だったので、本を読んだり、居眠りしてもまだ辿り着かず、毎日のようにお尻が痛くなったものです。

立川での仕事が終わって、南武線とは疎遠になったのですが、先日すごく久しぶりに、武蔵小杉と川崎の間を南武線で移動することがありまして、いろいろな情感が甦ってきましたよ。タイトルで既に出オチしておりますが、立川からの帰りの電車の尻手駅が好きだったんです。

尻手駅は終点川崎駅のひとつ手前の駅です。浜川崎線という工場地帯へ行く電車の接続駅でもありまして、朝の時間帯は見慣れぬ色の電車(すぐに見慣れましたが)が向かいに止まっていたりしました。参画していたのが、炎上とまではいってませんでしたがままならないプロジェクトでありまして、たいてい立川を出るのがそこそこ遅くなります。南武線は通勤者もおおいですが、武蔵小杉当たりから減っていき、終点までずっと乗ってる人はそこまでいません。

それで、川崎駅は賑やかで雑多な街ですが、そのひとつ手前のこの尻手駅は、びっくりするほど静寂の駅なんです。そして、高架の駅なんですね。夜、ひとが少なくなった車両が、尻手駅に止まると、あたりは殆ど闇に覆われていて、駅だけがぼうっと光ってるんです。実際に駅を降りればそれなりに商店や飲み屋なんかがあるのでしょうけれど、駅ホームから見たら、それらはみーんな闇の底に沈んで黙り込んでいる。車両に乗り合わせた人々もこのときだけはやけに人らしくない。みんな本当に生きているのか。自分だけが生身のまま、なんだか世界の底に来てしまったような気持ちになる、そんな駅でして、この雰囲気がたまらなく好きでした。

先に書いたように、朝は工場地帯へ続く支線に、少なからぬ人を小さな車両に詰め込んで発車していくのがホーム向かいには見えて、全く様子が違います。そのふたつの顔もまた良かったのです。

この駅は尻手という妖怪にいそうな謎の名前ですが、この駅の手前に「矢向」という駅があります。ぼくのなかで、尻手駅の雰囲気のひとつは、この手前の矢向という名前の方に引きずられて、記憶の中で少し混乱さえありました。矢向はことばで聞くと「やこう」ですから、どうしたって夜行バスの「夜行」を思い浮かべます。闇を漂う一塊の光の島になんだかふさわしい名前だと思いませんか。まあ、実際は尻手なんですが。

そうそう、先日は久しぶりに行ったと書きましたが、列車が止まってわくわくしながら周りを見わたしてみたら、大きなスーパーの看板が出来ていました。暗闇の中にただようひとつの島みたいな感覚は激しく薄れてしまっていて、たいへん残念でした。もっとも――あのころ好ましく感じていた駅の孤独な感じは、「矢向」の件で分かるように記憶の中でだいぶ美化されていて、きっとこのスーパーがなかったとしても、再訪したらがっかりしていたんじゃないかなぁ、なんてことも思ったりしました。