がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

フランス・ドゥ・ヴァール 「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」(紀伊國屋書店)

「進化認知学」を提唱している、この分野での第一人者、ドゥ・ヴァールによる啓蒙の書です。

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

期待していたのをちょっと違っていたのは、ここにあんまり全体を通したストーリー性はなく、作者の主張とそれを裏付ける実験の数々がショーケース的に並んでいる、という構成でした。作者はこれまで行動動物学者の主張していた、動物の行動は「反応」にすぎないという意見をまっこうから否定し、従来の実験の穴を指摘します。多くの実験ではその動物の認知を知るための適切な条件設定がなされてないとして、多くの「正しく設定された」実験を紹介していきます。各章にテーマはあれど基本的には同じことを言っているような気はします。

たとえば、物理的に目に見える手とか足とか、目とか、あるいは機能なんかは進化がわかりやすいわけです。十分には機能しないけど、似たような機能が未成熟なかたちで存在していたりする。ところが、賢さや感情、のような目に見えないものになると急に人間だけが備えていて、人間に近いとされている種から切り離されて存在するみたいな扱いを受けている。そこに作者は切り込んでいきます。魚のひれとイルカのひれのような収斂進化が、賢さや感情のようなものでも起きてないとは言えない、確かにそうですよね。

紹介される実験そのものの紹介はめちゃくちゃ面白いんですが、間にさしはさまれる作者の装飾過多な言い回しにはやや気色ばんでしまいました。たとえば第五章の終わりはこんな感じ。

そして私たちは大きな溝ではなく、無数の波が絶えることなく打ち寄せてでき上がった、ゆったりした傾斜の浜辺に直面する。たとえ人間の知性がその浜辺の高い所にあるとしても、それは同じ海岸を連打する同じ力の作用によって形作られたことに違いはないのだ。

言いたいこともわかりますし、こういった比喩も作者の持ち味の一つであって、そういうものとして楽しむべきなのでしょうけれど、ぼくはこういうのはもうすこしさっぱりと書いてほしかったなあという印象です。同じことを割と繰り返し書いてますからね。

もっとも、この手の装飾過多な言い回しが多く出る理由のひとつとしては、ショーケースとしての実験たちを紹介するだけの本になってないせいでしょう。単に「動物は賢いんですよ」というだけではなく、上述のようなこれまでの人間至上主義をめぐる科学者たちの人間的な側面もあぶりだされているのがもうひとつのポイントかもしれません。批判にさらされている科学者たちは、名指しではないものの、この書き方だと本人にはわかってしまうのではとも思ってしまいました。まあそれくらいのほうが面白いともいえます。

まあ、そんな感じでして、面白いんだけどちょっと長さを感じた本でした。同じドゥ・ヴァールの『共感の時代』も手元にあるんだけどどうしようかな。