がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

ゲーム好きの中にもゆるやかなヒエラルキーがあったよなぁという自分語り

最近こんなつぶやきがバズってました。

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ゲーム好きだった子供時代を過ごしたぼくにとっても、なんだか目頭が熱くなる素敵なエピソードです。

ひるがえってじぶんの子供時代におけるゲームのことを考えるに、なんというか、ゲーム好きの子どもたちの間でもヒエラルキーみたいなのあったよなあ、みたいなことを思い出してしまいましたよ。

「スポーツも勉強も冴えない子供だが、ゲームをやらせると一目を置かれる」さきのエピソードの師匠のような、きれいなストーリーではありますが、実際のところ、師匠のような存在は稀です。というか、ぼくの子供時代にそういうわかりやすいステレオタイプな友人は一人もいませんでした。先のエピソードではスマブラでしたが、ぼくの小学生時代はまさにファミコンブームのまっただなかで、ぼくなんかはファミコン自体をなかなか買ってもらえなかったので「ゲームができて一目を置かれる」ストーリ自体から早々に脱落し、やっと買ってもらって戦線に復帰したものの、アクションゲームが苦手すぎてどうにもなりませんでした。

そのとき、アクションゲームやシューティングゲームが得意なのはむしろ運動神経のある子供であって、スポーツがいちばんできる子というわけでもないですが、そつなくこなす子が多かったです。ぼくのこのアクションゲームのできなさはほんとにひどくて、所見のゲームをよーいどんでやるとだいたいわかります。最初のクリボーで死ぬレベル。このレベルだと、そのゲームの面白さがわかるのに少しハードルがあって、さらに、上達曲線がゆっくり過ぎて面白さを深めるところにもう一つハードルがあります。なので、ゲームで人気ものになる、あるいはゲームの話題の中心となるアクションゲームの輪にはいることもできないという。

ドラクエが出てきてかろうじて話ができるようになった感じがありました(もっともこっちもプレイ時間を制限されてない家庭の子のほうが常に先に進んでいて、そういう子たちが話題の中心でしたけどね。ああ、ドラクエのきんのかぎ、周りみんな取ってるのに僕だけまだ取れてなくて悲しい思いをした記憶が蘇ってきたぞ。ディスクシステムが流行したときも、ふぁみこん探偵倶楽部とかふぁみこん昔話とかめっちゃ好きでしたけど、周りに誰かやっていた記憶はなかった……。同じゲーム好きでも花形は他人と競って他人より上であることが明示的にわかる対戦ゲームだったり、クリア進行度がわかるシューティングやアクションゲームだったんですよねー。

ちなみに、もう少し年齢が上がって、中高生になってもぼくはあまりかわりません。ドラクエとFF、あとFE。不思議のダンジョンもこのあたりでしたかね。親にはゲームなんてといわれつつ、ひとりでほそぼそとやってました。おとなになって友人の話を聞いてると、ゲーセンで同じゲームをやる友だちを作ったり、見知らぬ人と対戦するエピソードとかがたまに出てくるんですが、聞いているとほんとに羨ましく思います。ゲーセンなんて、腕前によって単位金額あたりのプレイ時間が伸びていくスタイルですよね。上達曲線がにぶすぎるぼくには金銭的な意味でどう考えても不利です(まあやろうとおもったこともなかったですが)ぼくがやった格闘ゲームなんてジョイメカファイトくらいですよ(懐かしい単語をちょいちょい入れていくスタイル)それもほとんど友達とやることはなくて、コンピュータ対戦だけやって結局全部倒すこともできてなかったはず。とにかく状況を判断してその判断をコントローラの動きに反映するところの速度がおそすぎる。

いま、スプラトゥーンをかろうじて遊べているのはゲームの進化でたぶん純粋にゲームの腕だけじゃない遊び方みたいなのを取り入れてきた成果かなーとおもいます。いまやドラクエでさえ、オンラインのドラクエ10は反射神経を要求され、状況に応じて適切な技を繰り出さないと勝てないという強敵まで登場する始末で、とうぜんぼくにそういうのは無理なんですけど、そうじゃない遊びがたくさんあるから続けていられるわけで、まあゲームの進化ってすごいよね、なんてことを思いました(どうでもいい結論)

この話、際限なくかけてしまうので大学時代のエピソードとかはまるごと削りました、はい終わり。