がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

ドラクエ5の結婚相手ネタに乗っかれないさみしさ

こんにちはドラクエ派のがくしです(ただし11はDS版を買ったもののしなくなってしまいSwitch待ち、10はサービス開始からいまもやってます、という程度のカジュアルファンですが)

もう、ご存じの方が多いと思いますが、ドラクエ5が、3Dアニメ映画化だそうです。

dq-movie.com

ドラえもんとか三丁目の夕日を撮った監督だそうで、完全に泣かせに来ますねこれは。自分で行間を埋めるタイプのドラクエに、明確に泣けるようなストーリーを載せてしまうってことだとしたら、個人的には不安しかない映画化ですが、今回はそれが主題ではありません。ドラクエ5のことを考えるといつもなんだかもやっとしてることがあって、あらためて言語化してみたいと思ったので書いてみます。ほとんど客観的な根拠の無い妄想なので、妄想に付き合いたくない方はここで引き返しましょう。

さて、ドラクエ5がでたのは、1992年9月。当時はぼくはおそらく15歳くらい、中学生です。ぼくのドラクエ5の印象は、「モンスターを仲間に出来るとかスゲー」「最初にあったあのよくわからないシーンが、後からそんな意味になるのかスゲー」です。結婚相手で悩むシーンはイベントとして重要だったとは思いますが、たいして悩んだ記憶がなくて、ストーリー上関わりが多かったほうをそりゃ選ぶでしょ、程度だったように思います。

エピソードとして「結婚相手を相当悩んだ」ということを熱く話される方がいます。もちろん、それは本当なのでしょう。ただ、ほんとにみんながみんなそうだったのかなぁ。そうじゃないひともけっこういたんじゃないのかなあ、と思うんですよね。いまはドラクエ5というともう、結婚相手でビアンカ派フローラ派の戦争が生まれるみたいな話がセットでかならず出るようになってしまってますが、それって当時の空気としてありましたっけ。当時の雑誌とかでもそこはお悩みポイントとして、記事化されていたとは思いますが、記事はそもそも大袈裟に書かれるものですから、プレイヤーの温度感まではよく分かりません(これは調べようと思ったら調べられそうだなあ)

そういう建て付けにしておくと所属意識が生まれて、どっちかにしておいたほうが面白いから乗っかるという方が増えてこの話が定番化していった感じがしてしまうんですよ。そして、当時はそこまで思ってなかったとしても、バイアスによって当時からそうだったように記憶もまた変わっていっているのでは、とそんなことまで思います(繰り返しますが、ほんと根拠なしのまったくの妄想なんですけど)。きのこたけのこ論争もそうですが、何かを対立させてどっちかに肩入れしてそれを持ち上げるという行為は楽しさをうむものです。乗っかる側にべつにデメリットも無いので、どうしたって加速します。

あと、どうしても過去のものって、なにかフックを付けて言及されることが多いわけです。ドラクエというコンテンツが「国民的RPG」みたいな扱いをされ、リメイクも何度もされていくうちにそれぞれのナンバリングで特徴的なシーンや名言が繰り返し言及されるようになりました。ドラクエ1なら「ゆうべはおたのしみでしたね」。ドラクエ2なら「いやーさがしましたよ」やロンダルキアの鬼畜エピソードなど。ドラクエ3は「ぱふぱふ」とか、オルテガのグラフィックがカンタダの件とか。ドラクエ4だと、アリーナ、トルネコ、ミネアマーニャ姉妹などのキャラそのものですよね。そして、ドラクエ5が結婚ネタですね。もちろん、そこは堀井さんも言ってることですし、作品の大きな山場であることは別に否定するつもりもないんですが、印象が実際のゲーム体験よりずっと強化されてしまっている構図になってる気もしています。

だからどうなんだよ、という話で、別に記憶がそんな風に強化されたって何も不都合はないのですが、ドラクエ5に言及されるたびに結婚シーンというぼくには共感が薄いところがフィーチャされて、ちょっとだけさみしさを感じるので書いてみました(とにかく過去の主人公と未来の主人公が邂逅するところが最高なんですよ、ぼくには)。しかしまあ、ぼくの記憶もまったく当てにならないなー。たとえば「女剣士がずっと剣を洗ってる怖いやつ」をすっかりドラクエ5だと記憶してましたが、あれは6でした……。

アルティメット ヒッツ ドラゴンクエストV 天空の花嫁

アルティメット ヒッツ ドラゴンクエストV 天空の花嫁

ヴォルフガング・ヴァルシュ『クアックサルバー』(アークライト)

評判が良くやってみたかったのですが、JERRY JERRY CAFEでプレイすることが出来ました。

bodoge.hoobby.net

プレイヤーは藪医者になり、適当に薬を調合して勝利点を稼ぎます(何言ってるんだろうね)。いろいろな薬の材料をそれぞれの手もとにあるバッグの中に入れていきます。毎ラウンドこれらの材料を全員リアルタイムで鍋に投入していくのですが、材料の中には毒のようなものが紛れていて、これの合計が8以上になってしまうとバーストしてしまいます。バーストすると勝利点を得るか材料を追加購入するか、どちらかしか選べなくなります。反対にバーストせずにプレイヤーの中で一番の薬を鍋に注ぐことが出来たひとはサイコロボーナスがある。そんな感じで、ラウンドが進むにつれ、手もとのバッグの中に材料が増えていくので、投入する鍋の中が賑やかになっていきます。材料にはいろいろな効果があるので、プレイヤーごとにバッグの特徴が生まれてきます。

クアックサルバー
ボードのようす

手前にあるのが材料を投入している鍋です。材料には骨みたいなのやカボチャ、キノコ、マントラゴラなどなど。それぞれに数字が書いてあって、引くたびにその数字ぶんうずまきを進んでいくんですね。で、材料の先頭がなるべくうずまきをたくさん進んだ方が後の買い物で使える金や勝利点が増えたりするので、先に進みたいんですが、バーストとの兼ね合いがあってどうするか悩ましい、とそういう感じですね。

マニアじゃないので恥ずかしながら知りませんでしたが、こういうシステムを「バッグビルド」というそうです。手もとのバッグをつくって(ビルド)いくということですね。似たようなシステムで、共通の山札では無くプレイヤーごとの山札(デッキ)を構築していく、デッキビルドというのがあるそうです。ドミニオンとかそうなのかな。なるほど。

各人のバッグはゲームが進むにつれて自分の意志であるていどコントロールされた内容にはなりますが、そこから引いてくるところはあくまで運なのでできることは確率を上げることだけ、これが重くなりすぎなくていいなとおもいました。リアルタイムでやるのもテンポ良くてよいです。ソロプレイ感が強くなりそうかとおもいきや、他人の様子を見てバースト覚悟で進むか止めるかを狙ったりするのでインタラクションはそれなりにあります。あと、このゲーム、得点が二位以下の人にブーストがかかるようになっています。これのせいで、とにかくトップとの差が付きにくくつくられているため、経験者が一方的に勝つという形にならないのも良いです。

ドミニオンというゲームはぼくも前は何回かやってたんですが、あのゲームはデッキを構築するところでカードの引きの運をかなり強くコントロールすることを求められるので、強い人がとにかく強いです。ドミニオンはぼくはたいてい大して考えずにやってるので殆ど勝てたことがないです。それよりはこのゲームはだいぶ緩く、運の要素が残されているのが良かったですね。まあ、無双したいひとには向いてませんね。

材料の効果もけっこうクセがあって、効果のパターンはゲーム開始時に選べるそう。今回はたぶん、初めての人向けの効果でやったはずです。ゲームボードも両面あって、そこも少しルールが異なるようなので、何回も違うルールでやってみたいですね。

ひとつだけ欠点を挙げるとすれば、プレイヤーカラーが鍋の取っ手に描かれていて、茶色・灰色・黄色・黄土色でこれらは金属を表しているとおもいますが、黄色と黄土色がいったい何の金属か分からないことです(説明書読めば書いてあるとおもいますが読まない)。ぼくは黄色だったので自分こそ金だと主張していましたが、黄色の人から硫黄だと馬鹿にされていました。もう誰も信じない。鍋に変な白い入れてやる。

クアックサルバー 完全日本語版

クアックサルバー 完全日本語版

電車内で悪意無く子供の写真をとってくるおじいさんを制限できるか問題

先日こんなまとめを読みました。

togetter.com

年配の方に車内で子供の写真を撮られて不快だ消してくれと伝えたが、あやしくない大丈夫などという反応で話が通じなかった、というエピソードです。最初に読んだ感想は「なんだよこのじいさん、えらい迷惑行為だな。分かってない人が居るもんだ、ひどい」というようなものでした。しかし、コメント欄を読んでいくうちに、そうとばかりもいえないなと思い直すようになったので、ちょっとここに書いておきたいなと思いました。

まず前提として、これは刑法に反する犯罪行為で無い、ということをおさえておきます。「肖像権の侵害」という言葉があるので、ぼくもてっきり刑法で禁止されている不法行為かと思っていたんですが、実際「肖像権の侵害」とされているものは民事による不法行為になる「可能性がある」ものであるそうなのです。まとめのなかで、警察に訴えていますが、期待される行為をともなう反応を返してくれないことを指して話が通じないとしているものの、会話も出来ますしご老人に嫌がらせを意図している様子もないので、迷惑行為として警察が動けるかどうかと言うのは微妙なラインなんだろうなと思い直しました。

まとめのコメント欄やはてなブックマークで多く指摘されているように、かつて他人の写真を勝手に撮ったりする行為は、そこまで忌避されるような行動では無かったようです。ネットの発達で写真が容易に複製拡散され、コントロールできない形で広まることを考えなければならない時代になったので、クレームの内容はぼくには納得性があるものなのですが、このご老人はその前提を共有しておらず、それでこういった話の行き違いが生じています。となるとこの件「相手の行為をやめさせようとすることは、前提を共有しない相手に価値観を押しつける行為である」とも抽象化されます。

いやいや、嫌がってるんだからやめろよ、という意見もあるかと思います(コメント欄にもいくつか見えました)。しかし、われわれは、いやこれは主語が大きいな、ぼくは、にしておきましょうか、ぼくは「いやだからやめろ」とだけ言われてはいそうでうすね止めます、ということには慎重であるべきと思っています。「お前がそこに立ってるのは不愉快だ、電車を降りろ」っていわれて「不快に感じさせてすみません、降りますね」ってなりますかね。まあ、実際そんなことを言ってくる人は面倒くさいことになりそうなので、逃げるために電車降りるか。じゃあ、「肌の露出が多い女性のイラストが表紙になった本が書店にあるのが不愉快だから止めろ」ってのはどうでしょうか。「不愉快だって言ってるんだから止めろよ」ってならないですよね。

それとこれとはちがう、という話になるとは思うのですが、そうなんでしょうか。これはもう、だいたいの問題と同じように程度問題にしかならないのでは、と感じています。ぼくは「いまの時代は他人の写真をみだりに取ってはならない」という前提はわりと一般的ではあると「感じ」ますが、その前提が高齢者にまで完全に共有されているかというとそうでもなさそうな気もしています。相手の行動を制限するほど踏み込むなら、そこからすりあわせなければならないのではないか、というところでしょう。しかしながら、実際、電車の中でそこまで相手と対話が出来るかというと無理でしょうから、これは「もちろん相手の反応に期待してクレームは付けてもいいが、相手が拒否したり、とりあわなかったときにそれを強要できる裏付けは、残念ながらなさそう……」というのがぼくのなかでの現在の感想です。

Twitterなどで「お気持ち案件」などと揶揄されている行為を最近多く観るようになりました。先ほどの「露出が多いイラスト」例のように「自分が不愉快だからと行ってそれを止めさせようとする行為」を揶揄するもので、フェミニストを自称する方による表現を規制するような形での言及が多かったように感じています。ぼくは過度に相手をバカにするニュアンスを含む「お気持ち」という言葉はとても嫌いですが、言わんとする「あなたの気持ち一つで制限されたらかなわない」には共感するところはあります

ただこれにしてみても程度問題のひとつになりそうな気がします。おそらく「肌の露出が多い女性のイラストが表紙になった本」を不愉快だと言っている方は、それが「ある程度社会的にコンセンサスが取れる不愉快」だと感じているのではないでしょうかね。つまるところ程度の衝突であって、さっきの例と実は相似形なんじゃ無いかと思ったりするのです。もともとの例をあえて嫌な言葉で言い直せば「写真を撮られたくないというお気持ち」を、写真を撮る側はどこまで考慮すべきなのかということになります。

というわけでまだまだもやもやしている部分が周りにたくさんあるんですが、ぼくのなかで初見と感想が変わったことを記録しておきたかったので書きました。そんな感じです。

追記:イラストの例は対象に向かって突きつけられたわけで無く勝手に目にしたことに対するクレームなので、「特定個人に対する意図的な行為と不特定多数に対するターゲットを特定しない行為では話が異なる」という論点もあるかと思います。ぼくは結局は同じことになるんじゃないかと感じますが、これはうまく言語化できておりません。なお、この手の話が炎上しがちになるのは単純に一つのクレームだけの話でも無く周辺のいろいろな言動も含めてのことが多そうなので、誰かの肩を持つつもりも無いということは書いておきます。