がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

須田桃子『合成生物学の衝撃』(文藝春秋)

毎日新聞の科学環境部の記者である著者が、「合成生物学」をとりまく状況を丁寧に取材した本。これはめちゃくちゃ面白かったですね。題材が面白いのもありますが、作者のジャーナリストとしての取材の進め方がおもしろく、最先端の技術を紹介しているだけでなく、その学問を通じて科学者たちがどんなことを考えてどんなスタンスでいるかがあぶりだされているところが素晴らしい。文章も過剰に情緒的ではなく、かといって淡々と事実を記載しているわけではありません。著者が一ジャーナリストとして対象に対峙していることが常に意識されていて、非常にうまい書き手だと思いましたね。

合成生物学の衝撃

合成生物学の衝撃

合成生物学とはその名の通り、生物を合成によって作る試みです。我々生物はDNAという情報の乗り物を持っています。これを設計図や実行手順書として生命活動を行っています。このDNAはわずか四つのタンパク質の連なりによって膨大な機能を作り出していますが、これを人工的に組み合わせることによって既存の生物に新たな機能を持たせたり、究極的には新たな生物を生み出すことができます。この分野を合成生物学と呼ぶそうです。ヒトの遺伝子情報を読み取るプロジェクトというのはよく話題に上っていてぼくも知っていましたが、「読む」のではなく「書く」ほうの科学がどうなっているのか、追ってみたことはありませんでした。本書を読んで、もうここまできてるのかーという印象でした。本書の表紙になっているミニマル・セルとよばれる「生命活動を行う最小のDNA群によってつくられた人工生命」だそうです。

遺伝子工学がほとんど情報工学となっているのはなんとなく知っていましたが、本書を読むと思った以上でした。科学者たちはいろんな方法でDNAをハッキングしています。もはや前任者が書いてブラックボックス化した膨大なコンピュータプログラムをデバッグしているのとなにもかわらないきがします。ある塩基対を殺したらどういう影響が出るのかなんてことを普通にやってます。

ところで、生物を合成する、という書き方をすると、けっこうぎょっとしてしまうと思うのですが、この感情の中には「生き物を作り出してしまう」ことにたいするタブーに触れている気持ちがあることは否めませんし、多くの人がそこに何らかの感情をもっているとおもいます。もっといえば、倫理的に問題が発生するんじゃないかと思う人も多いでしょう。作者は科学の最先端を追う中で、その問題にもちゃんと触れています。びっくりしたのはジョージ・チャーチという科学者へのインタビューです。著者はヒトゲノム合成計画に携わっているこの一人者が、倫理というのものものすごく軽くとらえているような言質を引き出しています。

科学的な部分よりも政治的な部分の話といえば、「生物化学の軍事利用」についても紙面の多くを割いています。「DNAを改竄する機能を持つDNA」を組み込むことで、種の中に特定のDNAをかなりのスピードで伝播させることができる「遺伝子ドライブ」という技術は、マラリアなどの病原菌を媒介する蚊の撲滅などにも期待されていますが、いっぽうで生物兵器として人を苦しめる使い方も可能でしょう。これについて、旧ソ連で研究を行っていた人物のインタビューからはじまって、アメリカの軍部の息のかかったDARAPがこの分野に投資しまくっていることについて、DARAP社そのものにもインタビューをしているし、そこに関わる関わらないことを決めた科学者たちにも気持ちを聞いているところが興味深いですね。科学者のなかでも意見が割れていて、軍事利用の可能性があるからやめる科学者もいれば、そもそも研究のためにはある程度は仕方ないと考える若手もいます。軍事利用してますとは絶対に言わないわけで、難しい話なのはよく分かります。

このジャンルはどう考えても以前の遺伝学の延長にあるわけで、遺伝子工学について触れさえすれば想像できてしかるべきだったのに、今更知ったというのも恥ずかしい話ですが、ちゃんと話題を追っていきたいところです。あー、面白かった。あと、この分野を追っていくかどうかはわかりませんが、この著者の今後の著作にも期待したいですね。