がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

中島みゆき『相聞』

毎回新しいアルバムを買うと、ファーストインプレッション的に感想を書き留めておきたいなという気持ちは湧き上がるものの、ずっとそれを書きつける時間がとれてませんでした。今回は久しぶりに書いてみたいと思います。いまこの冒頭の文を書いている時点ではまだなにもまだ書いてないですが、たぶん長いだろう。

01.秘密の花園

ファイナルファンタジーのテーマみたいな、キラキラさらさらした前奏から、エフェクト全開のうたが、伴奏の譜割りをまるで無視して入ってきます。かなり抽象的な歌ですが、みゆきさんは『海嘯』あたりから、人間の愚かさ(と、同時に愛おしさも歌っている)を抜き出すために、自然物を描写することをけっこう意識的にしてきてますね。それ以前にも、抽象的でファンタジックな曲想はもちろんありましたが、『海嘯』では、人間の営みよりもずっと長い命である「ジャカランダ」や、さらに生命ですらないが生命的である「海」そのものの視点で、人間の右往左往やら、感情やらを見つめさせてきていました。「命のリレー」でバトンを受け取るのは、石だったり魚だったりしますし、「命の別名」で語り手が願う対象は水だったり石だったりするわけです。はからずともどちらも命があるとは言われていない石にも、命を見出しています。

この「秘密の花園」も、基本的には「賢い」はずの人間はたどり着きえぬ場所を歌っていますが、これはいろんな解釈ができます。私たちの心がほんとうはよりどころにしたくてもそれが何か人間の愚かさみたいなものに妨げられていて、そういった愚かさから解放された瞬間にふと見える道の向こうにある安寧の地……そんな場所なのかなあ、なんて思います。「時計」は人間の作り出した「時間」そのものの象徴で、ぼくたちはどうしようもなく時間に支配されていて、それは別に悪いことではないんだけど、その時間から解放される場所としてこの場所はあるのです。

02.小春日和

小春日和は、冬にとつぜんスポットのようにやってくる暖かい日のことですが、この歌においては「嘘のぬくもり」の象徴です。この嘘のぬくもり、という言葉も、みゆきさんらしいといいますか、ほんとうはちがっていてもいまだけ、すこしだけ、その気持ちをせめてこちらに向けてほしい、というテーマで、過去をさかのぼっても多くの類想が見られると思います。ぼくがすぐ思いついたのは「三分後に捨ててもいい」、で、あちらは、もっと直截的な「いまだけでいいのでそばにいてください」という気持ちを歌っていますが、この「小春日和」にはもっと、スパンの長い諦観のようなものを感じます。

03.マンハッタン ナイト ライン

うって変わって、この歌は生き馬の目を抜くような世界に生きる者たちをうたっています。こういう歌を聞くと、自分とは関係のない他人のことを歌っていると感じる人もいるでしょうけれど、じっさい、人間なんてものはただひとつ自分だけで構成されているのではなくて、自分の中にいろんな人たちの、その陰みたいなものが投影されて出来てるんじゃないかと、ぼくなんかは感じるんですよね。なので、行き急いでいる瞬間とか、そういう思い出とか、そういった自分の中にある「マンハッタンのような、虚構ともいえる世界で生き抜いている流民たち」の要素、がこの歌によってスポットライトを当てられ、かつ、それはそれ、と肯定されているような気がするのです。

この歌に近いかなと感じる楽曲は「サバイバル・ロード」です。あの歌もまた、別世界で殺伐として生きているだれか、ではなくて、人生には緩さもあるし厳しさもあるし、楽さ、苦しさ、さみしさ、うれしさ……ひとびとが生きている間に遭遇するいろんな感情の中から、殺伐とした気持ちだけを取り出して歌として再提示してくれる曲だなあなんて思うわけです。

ナイトラインはぼくは高速道路だと思うんですが、いずれにせよ、疾走感のある、つい口ずさみたくなるナンバーですね。

04.人生の素人

シングル「慕情」のカップリングとして収録されていた曲です。これは「本日、未熟者」とか「今日以来」のような、滑稽で間違いばかりを犯している、どこにでもある人生を、肩ひじ張らずに応援している曲だと感じます。わたしたちはだれも、初めての人生を生きてるんだから、うまくいかないのが当たり前じゃないかな、というその気づきのために「僕と君」のエピソードを語っているということだと思います。

それから、これもみゆきさんには繰り返し出てくるモチーフなんですが、誰かに傷つけられるよりも、誰かを傷つけてしまうことに対する後悔のほうが癒しにくい、というのがあるんだとおもいます(例:「ナイトキャップスペシャル」が、それが冒頭の「失ったものをほめて傷つけてしまった後悔」エピソードに表れています。

05.移動性低気圧

男女の違いをユーモラスに語った楽曲です。ここまで聞いてきてだいぶトリッキーに曲調が変わる歌が多いなーと感じました。この曲は歌詞でも音ででも遊んでいて、普通に作ったら英単語を当てはめてリズムを作ってくると思うんですが(昔のみゆきさんなら素直にそうした気がします)それを日本語の、かつ口語である「わからん」というちょっと舌足らずともいえることばの繰り返しで表現している。これがすごくおもしろいですね。

まあ、こういう男はどうだ、女はどうだ、という話になると「私はそうじゃない」(今風の言い方をすれば、「主語がでかい」)なんてことを感じがちなんですが、みゆきさんの書き方は一貫して「私にはこう見えていて、共感できる方は共感してね」というものなので、主語はアーティスト中島みゆき、あるいは、それを共感として受け取った聞き手の外には出ていかない。まあ、そんなことをあえて言わずとも、抽象的な書き方を徹底しているので、共感できる部分はあるのではないかと思いますけれど。

古いナンバーに「誘惑」というものがありますが、あの曲では女が持っているのは「ガラスの靴」で、男が持っているのは「紙飛行機」でしたね。みゆきさんの主張だと女は気まぐれで現実主義、男は寂しがりでロマンティストというもので、昔からそのイメージは変わってないのかもしれません。この手の歌って、なんというか「男を甘やかすような言説で、その裏ではちくちくいじめている」ような気もしていてなかなか愉快です。ぼくも男だけども。

06.月の夜に

明かり、というのは人の気配がして暖かい存在として対置されていて、月はその温かさを持たず、ひとの心の中にまで差し込んですべてを明るみに出してしまう要素として、みゆきさんは昔からいろんな歌で使ってきてますね。それから、明かりもいろいろあって、街の明かりは、享楽の象徴でもあって、一見、人を呼び寄せる魅力があるんだけど、その実態は空虚であるという存在なのです。たとえば「ネオンライトでは燃やせない」(ホームにて)や、夜会『今晩屋』の「都の灯り」も同じ構図ですね。

この歌はとにかくレトリックが素晴らしい。たとえば「月を背にすれば 闇が道標」。光景がぱっと目に浮かびます。月を背負った人物から長く伸びる影が静寂の海におちている。海の向こうにはちらちらと街の明かりが見える。絵画のような世界です。言えばよかったこと→月、言わなければよかったこと→水面の月という対比の部分も見事で、この水面の月もまた町の灯りと同じで「偽り」の存在です。

07.ねこちぐら

みゆきさんの猫のイメージは過去の歌でもけっこう共通してます。そのイメージは「なつかない猫」と「ペルシャ」で十分でしょう。ああ、もうひとつありました。「常夜灯」です。あの曲が猫視点で生まれた曲だったことがベストアルバム『前途』の本人のライナーノーツで分かっていますが、そのイメージともそんなに遠くはありません。

ねこは本心をうまく表に出すことができなかったり、きまぐれだったりします。一見、クールできどっていますが、本心は寂しがりでずっともういなくなったものを追い求めてしまう。愛にとらわれたこころそのものであるという解釈ですね。かわいらしい歌声でゆっくりとうたわれている曲ですが、ラストの4行で本音が見えてきます。「でもねこだってさみしい」

08.アリア -Air-

平原綾香さんへの提供局のセルフカバー。平原さんが広い音域で歌い上げているのに対し、みゆきさんは作者本人にしかできない技量で見事にそれぞれの楽曲になっていると思います。平原さんは歌えていたモチーフはラストに一回だけ使われていますが、謎をよびかけて最後で回収するという構図になるのでこれはこれでうまく詞の世界としてなりたっていますね。

09.希い

自己犠牲極まる曲ですが、これはたんなる犠牲の歌ではありません。「人生の素人」でも似たような構図は描かれていますが、この「希い」は人生に対する後悔そのものです。なので、ややもするとちょっと嘘くさく思える手放しの自己犠牲というよりは、救済としての自己犠牲というふうに読めます。ぼくはそっちのほうがずっと納得がいく。一般的に書くなら「願い」となるところを希望の希を使っているのもそのあらわれではないでしょうか。

後悔の歌であるがゆえに二番でいくつか説明的な言葉が出てきますが、「ある瞬間にしか有効でない希いがある」という説明があって、よりこの後悔は深みがでてきます。どれだけ自己を犠牲にしてみても、もうその希いはかなわないのです。

10.慕情

いわずとしれたドラマの主題歌です。かなり聞き手を意識した平易な詞を志向しているように思いますが、これも「希い」と同じ後悔の歌であることはわかりやすい。そして、これも、人生の愚かさみたいなものをうたっていますよね。