がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

化け物があるいているのを見たくないのに見てしまう病

こんにちは。

Visual Studio が際限なくなんかをインストールし始めたので(何度目だアップデート)やることがなくてとりとめのないことを書きますよ。もうちょっと感情ログとしてこのブログを活用したい気持ちもあるんですけどね、アウトプットするより家に帰ってゲーム機を前にしてインプットに流れてしまうことが多くてね。サーモンラン万歳

最近ですね、なんというかスピリチュアル的なことに干渉しかかってるんじゃないかっていう人がちょっと目について、直接の友人というよりも、そのさらに周辺、ホップ数で言えば2ホップくらいのところですかね、そういうことがあって、個人的にはそういうのがほんとに嫌いなので、見たくないなぁと思ってしまうんですよね。

ああいうのは、自分に被害が及ばない限り掘っておけばいいんだというのももっともな話で、ぼくには何一つ他人に干渉する理由も理路も筋合いもないわけなんですが、見ちゃったものま見ちゃったものでして、ぼくのなかに残るこのもやもやした感情のほうはそう簡単に消えてなくなるものでもありません。もうすこし、予防しろよって思うんですけど、なんか最近、そういうものを目にしてしまう機会が多いような気がして、気持ちが暗くなります。

みなさん、すごく幸せそうです。しかし、その幸せそう、というのも「「幸せである」というアウトプット」の奔流によってなんだかずいぶん軽い感じただよいます。オートマチックに紡がれる言葉たちは、それでも彼らの中から出てきたような顔をしているのです。彼らは日々いろんなことをに気が付いて、いろんなことに感謝して、急に泣いたり急に笑ったり、またいろんなことに気が付いて、魂がどうだとか、地球がどうだとか、非常に目まぐるしいのですが、これまた自己肯定に飲み込まれている。

ああ、そうか。そうなんですよ、この化け物がグロテスクすぎるんですよ。ぼくだって、日々の、いやなことととかから目をつぶって逃げ回って生きているような人間ですから人様をどうこう言うつもりはないので、この化け物はその人についての批判だと思ってほしくないんですが、だれにでもいるこの化け物は、ふだんはそれぞれの心の暗いところに幽閉されていて、それでわれわれはつかのまの安心を得ていたはずなのに、スピリチュアルな方々の世界では、そんな自己肯定の化け物が、なんということか、大手を振って往来を歩いているようなのですね。

繰り返しますが、誰かが化け物ということではない。化け物は外にいます。いや中にいるんだけど外に出てきてます。

見たくないけど、なんか最近、クリックするとそこにいたりするんだよね。あー、やだやだ。