がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

魅力のあるフレーズを捨てる勇気のこと

どうでもいい話をひとつ。

昨日、街を歩いてましたら、「味は一流、値段は三流」ってでっかく書いてある看板を見つけました。

これをみて、うーん、上手いこと言ってる体でぜんぜんそうないじゃないか、って思いませんか。

言いたいことは簡単です。味はすばらしいが値段は安いってことでしょう。「一般的には味が良いと値段も高いとされるけどうちはそうじゃないよ」ってことだよね。まあ、わかるよ。わかるけど、うーん。

「三流」という言葉は、どう使っても悪いことを言うときだけに使うと思うんですよね。これを書いた人は「一流=上、三流=下」というただのポジション取りのつもりで対比させたんでしょうけど、「三流」から伝わるメッセージはただ「粗悪である」ということでしかないように思います。

じゃあ、「三流」を単に「悪い」と置き換えた場合、「値段が悪い」というセンテンスになりますが、これだととっさには何を言ってるか分かりません。「良い値段する」は使うけど「悪い値段する」とはあまり言わないですよね。そして値段が「悪い」というのを無理矢理解釈するとやっぱり「高い」と解釈せざるを得なくて、そうなると言い値段も悪い値段も両方値段が高いことを表してることになってしまい、さらにそれを無理にでも解釈すると「良い値段」のほうがいくばくかマシということになってしまいます。こうなるとせっかく一流との対比で三流と言ったのに一流のほうがいい印象を与えることになってしまって、やっぱり破綻するんです。

俳句を作ってるとき、なんか使えそうなワンフレーズが先に思い浮かんで、これを上手く嵌まれば面白い句になりそうだけど文字数の関係とか他の単語との距離の関係でどうしてもハマらないときってよくあります。こういうときは、使えそうなワンフレーズという魅力を振り払って、そもそも俳句の形式ではこれは生かせそうにない、とそのフレーズ自体を捨ててしまう決断をしないといけない。こだわって無理矢理つっこんだ上に、いじりまわしても無理なことってあるんですよね。具体的な例を言えば、どうしても外せない要素同士が二つ並ぶと別の意味を想起しちゃう場合で語順とかの問題では解決できない(17文字は近すぎる)というケースとかですね。

今回の「三流と一流の対比」もたぶん作り手さんにとってはその手のフレーズでどうしても捨てられなかったんでしょう。でも、この対比は広告に使うフレーズとしては向いてない(そもそも日本語のニュアンスとして成立しにくい)、そこできっぱりと捨てる必要があったんじゃ無いかと思うわけです(まあ、そもそもぼくにはそんな魅力があるフレーズには見えていませんけどね)

どうでもいい話でした。