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がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

世の中の楽しみはたいがいめんどくさい

雑記 中島みゆき ドラクエ アナログゲーム Ingress

差別とかマイノリティの話とかが顕著化と思うんですが、もっと卑近な趣味の世界で周りを見渡しても、ああ、たまにあるなーと感じることが明文化できそうなのでメモしておきます。

なにか考えの違いによって軋轢が表面化して、それが一般化して語られたりなんかして、多くの人が言及しはじめると「めんどくさい!」という感想を書き捨てる方がいるのをときどき目にします。もちろんケースバイケースではありますが、なぜか「自分は面倒くさくない状態にいる権利があるはずだ」といいたげな発言のように見えています。しかしですよ。そもそも「世の中はめんどくさい」んじゃないのかなあ。たまたま既得権益でそのめんどくささと向き合わずに済んでいたり、運がすごく良くてめんどくささを解決しなくても快適に過ごせる人間関係の中にいたか、たんに鈍感だったか、まあ、いろいろ理由はあると思うんですが、たいていのことはめんどくさいというのがぼくの結論。

他人と向かう方向が違っていたとして、その両方が両立するなら特に問題はありません。「あなたは好きにすれば良い、私も好きにします」です。しかし、そんなことばかりではありません。「私がしたい」「あなたがしたい」「私がして欲しくない」「あなたがしてほしくない」は簡単にぶつかります。さあ、どっちの権利が優先されるのでしょう。

このことを考えたそもそもは、LGBTに関するニュースを見ていて、コメントで「めんどくさい」という文字を見たからなんですが、それなんかは差別問題という最高に「めんどくさい」権利の衝突の事例でしょう(ところで、自分が普通に行っていた行為が「差別的である」ということを自認することは感情的にけっこうな障壁があるようで、「差別して何が悪い」というところまで後退するひとはほとんどいなくて、多くのケースでは「差別は悪いことだが、自分の行為はそれではないのでセーフ」という言説に逃げるのを見かけます。でも、いくら言説で取り繕ってみてもそれってただ「言ってるだけ」で結局差別なんじゃんって思ったりするケースも多々……というのは本題と直接関係ないのでこれ以上追いませんが)

これって何が正しいのか結論があるわけではありません。社会問題化していてなんとなく社会的合意がすでに形成されているものであればそれがある意味ガイドラインになります。たとえば喫煙の問題なんかはそうじゃないでしょうかね。吸いたい人と吸われたくない人の権利衝突は吸いたい人が一歩引くような社会的合意が形成されているように思います。が、多くのケースではそうではありません。ふわっとした社会的合意は個人名が書かれているわけでもないし、ケースはそう単純でもないわけです。まあ、差別の問題なんかは純粋に個人的紛争とは言いがたくて余計入り組んでるとは思いますが、個別の紛争であれば当事者同士で話をして折り合いを付けるところを探すしかないんですよ。これは確かに「めんどくさい」。

「めんどくさい」が「あなたの権利」を尊重するためには議論をするしかないのです。ですが、各地で発生している軋轢を見ていると、この「めんどくささ」と向き合いたくない人がけっこう居るなあと思うのですよね。「わたしの主張する権利はあなたの主張する権利と衝突するがめんどくさいので話し合いもしない」っていう……、こう書くとずいぶん自己中心的だなあと思うかも知れませんが、たぶん本人は自分の行動がそういった文言に集約されることもあまり気づいてないのではないかと思うのです。「めんどくさいことに自分は係わらずに自由に出来るはずだ」という謎の思い込みによって。

差別の話は手に負えないので、いくつかぼくの観測範囲で見た、めんどくさい話を書いておきます。

中島みゆきクラスタでたまに話題になる、コンサートで立ち上がる人問題というのがあります。中島みゆきという激しいライブとはほど遠い歌手だからこそ生まれうる問題かも知れません。ノリが良い曲が後半にあると、立ち上がって盛り上がりたいという客と立たれると見えなくなるので辞めて欲しいという客の間で、権利がバッティングします。それぞれに主張はあります。が、これも結局「いろいろある要素のうち自分が何を大切にしているか」の違いによって生まれてきますが、個人的な紛争とも言いがたいので議論してもたぶんどうしようもない。最近のコンサートなんかだと、最後に向かって盛り上がってくる構成をあえて外してるようなところもあって、あまり客が立つような作りになってない印象です。

ドラクエ10では、オートマッチングのコンテンツでこの問題は多く見かけます。ドラクエ10はオンラインゲームですので、他人と係わるコンテンツがあります。そのなかでもオートマッチングと呼ばれる、まったく交流のないプレイヤーと組むことになるコンテンツでは、「目的のずれ」でよくもめごとが発生します。とにかく効率的にコンテンツを消化したい人、非効率でもいいのでチャットでふざけたりして楽しもうとする人。おなじ目的でもプレイヤーによって知識の差や、操作能力に差があったりして、それが結果プレイヤー間に軋轢を生じさせたりします。まだ目的が同じで能力の差で片付くのであればよいのですが、そもそもが楽しみ方が違うプレイヤー同士がぶつかると、上述のような「折り合いを探す」必要が出てきます。普段、気心の知れたフレンドとコンテンツを楽しんでいると、「楽しみ方に違いがある」こと自体を忘れがちで、けっこうもめごとを聞きます。

位置情報を使ったゲーム Ingress でもそうですね。Ingress というゲームは2陣営に別れてはいるのですが、ある行為が自陣営にとって意味があるかという部分がわかりにくいゲームで、そこで軋轢を生じている例をたくさん見ます。このゲームにおいては「人間関係がめんどくさいのでやめる」という例をいっぱい見てきました。それくらい、遊び方による権利が衝突しやすいんじゃ無いかと思っています(恐ろしいことに、権利が衝突するのはたいてい、味方とされている陣営同士だったりします)。

リアルゲームで言えばぼくが開催している人狼ゲームでもこの問題は発生していました。人狼というゲームは考えるところがけっこうありまして、論理的な思考が武器になります。なりますが、実際ゲームに参加している人みんながそういった論理ゲームとしてこのゲームに臨んでいるかはかなり怪しいと言わざるを得ません。得ませんし、ぼくもそれではあまりにもつまらないとおもいます。人がやっている以上、人間の感情から逃れられず、それは論理と同じくらい尊重すべきだと思っております。が、そのさじ加減は人次第になってしまいます。ある行動が「感情的にはありえても、確率論として自チームの勝利から遠ざかることが多い行動」だったとして、その行為をなしたことを他人から責められる、というのはよく見る光景です。これまた、実際はどちらが正しいという者でもありません。そして、同時に成立させるのは難しいケースです。やっぱり話をすることで折り合うしかありません。

エンターテイメントは、こと「楽しければ良い」という安易なワードによって、このへんを曖昧にしがちですが、実は「楽しさの方向性」はたくさんあって、あちらを立てればこちらが立たずという状況になるケースは、あらゆるジャンルにおいて存在します。それはそれなりに「めんどくさい」ことではありますが、その楽しさを享受する上では引き受けなければならない「めんどくささ」ではないかと思っています。あなただけがめんどくさいことを免除されているわけにはいかない、ということでひとつ、はい。