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がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

体験型脱出ゲームのネタばらしについて

ここの記述はもともと、リアル脱出ゲーム「竜王迷宮からの脱出」という記事に書かれていたものなのですが、長文になった上に、いろんなところで同じことを言及しそうなので独立した記事として書くことにしました。したがって文章をかく動機としては、リアル脱出ゲームとドラゴンクエストとのコラボ公演であるリアル脱出ゲーム「竜王迷宮からの脱出」についてレビューを書きたかったというところからスタートしています。そう、楽しかったが故に、細かいことまで含めてレビューを書こうかなと思ったんですが……たちふさがっていたのが「ネタバレ禁止公演」の文字列なのです。

というわけで、本文章は、「ネタバレ禁止公演と銘打たれた興行について、あえてネタばらしを行ってまでレビューを書く」ことの個人的な動機を記載しています。

ミステリーであっても基本的にはネタばらしは嫌われます。ただ、ミステリーなどの小説ではそれ以外の要素を楽しむ人も居ます。いっぽうで、この手のイベントはそもそもが「リアル脱出ゲーム」として「謎解き」を楽しむことが第一目的。謎解きの楽しみはもちろんいわゆる「ネタを割ること」によって減じるというか、ほとんどゼロになると言ってもいいでしょう。言わんとすることは分かります。しかしながら、ここで相反するのが「批評」です。いわゆる文芸評論の文脈でミステリー小説にでも、「ネタを割ながら批評を行う」という行為はありえます。もちろんその旨の注意書きを経ての行為です。これは文芸ジャンルが、批評や評論という存在をそもそも伴っていまに至るジャンルですから、それほど違和感なく受け入れられていると思います。

ところが、謎解きゲームというのは歴史が浅いです。謎解きゲームそのものを作品として「批評」したり、評論の対象とすることにおそらくジャンル自体が慣れてない。ぼくなんかは「作品の評価は自由であり、それはネタバレ禁止という言葉ものりこえて自由であるべき」と思ったりするわけですが、それがコンセンサスが取れるとも思ってないわけです。ましてや興行という体験型で提供されるイベントです。その意味では演劇と同じような立ち位置でも良いと思いますが、これまた演劇であれば劇評というかたちで作品を「必要に応じてネタやオチに言及して」行う行為がすでに存在するので問題がありませんが、謎解きゲームには興行評みたいなジャンルは成立しておりません。

「ネタバレ禁止公演」という言葉にどれだけの重みを感じとるべきか。それは批評さえも制限されるべきか。うーん、作り手の気持ちは確かに尊重はしたいけれど一方で批評だって大切ではないか? そんな葛藤があります。興行自体は商売でもありますから、批評であっても商売の邪魔をすることがどうかという異論もあることでしょう。しかし、脱出ゲームがひとつのエンターテイメントとして優れたものになっていくためには批評だってあってしかるべきなんじゃないかな、とそんな勝手なこともやっぱり思うわけです(いやほんと勝手な話ですけど)。面白がってネタバレを行うつもりはありません。あくまでもレビューに必要である、という前提の上で、必要最低限のネタに言及しつつ、かつ、不用意に未体験者がネタを知るようなことがないような注意を払った上で――あえて、「ネタバレ禁止」を破ってネタをばらしたレビューをぼくは書くことにします。

(ところで、完全に余談ですが、ぼくは行為者が主体的に行う、という意味において、「ネタばらし」という言葉のほうを好みますが、もはや「ネタバレ」は市民権を得つつあるようなので、両方の言葉が混在しています)