がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

第一回 へそ句会

横浜で句会をしたくて、へそ句会なるものをやりました。

横浜に喫茶へそまがりというサブカルちゃんな店があります(ディスってないよ!)ボードゲームとかやったり、だべりにいったりして、とっても居心地の良い一軒家カフェです。店主のへそくんと話していて実現したのがこの企画。ふだん黒かわず句会というところで丁々発止やっとるわけですが、そこから、我らがペペ女を召喚しての企画となりました。

ほとんど宣伝もしてなかったんですが、常連さんを中心にたくさんのかたが集まって頂き9名での句会になりました。ぼくとペペ女を除けばが俳句初体験の方ばかりです。でも言葉に興味があるということできてくれたんですよね。

俳句も非常にバラエティに富んでいて、かといって妙にポエムを発揮したような扱いづらい句はなくて、たいへん「語りがい」のある句会です。いやはや、言葉について語ることはなんて楽しいのだろうか。ぼくが言葉について語りやすい場であれば、俳句の内容の良し悪しは本当に関係ないんじゃないかと思うくらいです。

自分の句をつくるときに、ちょっとだけ、これが初句会になる方が多いと言うことを意識しました。

ひとつは「挨拶句」です。ぼくにとって俳句は句会と切り離せない存在で、俳句だけが単独で存在している状態というのが想像できないわけですが、その中でも句会をその日その場所でそのメンバーでやるんだと言うことをコンテキストして、飛距離を伸ばそうとするのが「挨拶句」。これってすばらしいと思いませんか。

その結果作ったのがこちら。

車座の臍やはらかく花筵

自句なので、あまり語ることはしませんが、ペペ女は見事に振り込んで(点を入れて)もらったうえに、ぼくが言おうと思っていたことを外部から全部言ってくれました。ありがたい限りです。

もうひとつ。

俳句というのは文字で作りますが、文字だけじゃないんだよということです。句会のプロセスには披講という大事な過程がありますが、ここで俳句は文字ではなく言葉として読み上げられるのですね。なので俳句のリズム、とか、韻とかって思った以上に大切にしても良い要素だよ、っていうことです。

如月の声の綺麗な人攫い

こっちも、ペペ女にぼくの思っていたことは全部語ってくれたので、狙い通りと言ったところです。「季語が動く」とは? というところまで語ってくれましたよ。

俳句って、言葉と言葉の距離、言葉と自分の歓声との距離を測るようなところがあると思うんですよね。それはひとりで俳句を作っていても線でしかないのですが、それがこうして多人数の俎上に載った瞬間、立体的な景色として立ち上がってくるような気がします。

たとえば、この日「給水所」という言葉がありました。これをマラソンの給水所と捉えるか、水を配る水道施設としての給水所と捉えるかでだいぶ景色が変わってくる句があったのです。ぼくだけでこの句と対峙していたのでは「給水所」という言葉が取扱注意だと言うことは気づかなかったでしょう。

というわけで、ぼくとしては非常に有意義な句会になりました。こういうの、数ヶ月おきにやっていきたいです。