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がくしだったりマイクロだったりすぎもとだったりするひとのメモとか。

『監獄アルバトロスからの脱出』

いってきました。SCRAPさんの新作です。

場所はアジトオブスクラップ、若者の街、原宿です。逆転裁判コラボの時に予告で出てから、「ほんとに閉じ込められます」というところでけっこう楽しみにしてました。

予告通り、一組四人のグループ全員が小さな小部屋(監獄)に入れられるという構造でして、はじまるまえからワクワクしっぱなしです。一緒に行った友人(ライターの井上マサキ)があろうことか来る前にビールを飲んでおりましてね、飲酒の罪で投獄ですよ。なんのことか意味が分かりませんが、入り口で罪を二回も名乗らされるというプレイで案内されたんですよ。二回も聞くなら、あらかじめいっておいてくださいよ。まったく考えずに「罪は飲酒です」とか言ってしまったではないですか。

小芝居付きの注意事項があってゲームが始まります。パーティションで区切られてしまっているので、いつも冒頭で流れるような映像での導入は無し、ほぼ声だけでの説明ですが、これはこれで、監獄で看守が上から説明している感じが強く出ていて雰囲気が抜群です。すばらしいですね。

さて、ぼくはこのブログではネタバレ注意のあとにネタバレをしちゃうんですが、この公演はこれから名古屋公演。大阪公演があるようなので、さすがに事故で検索で見てしまったりする人が居たら悲しいと思うので今回はネタそのものを具体的に書くことは流石にしません。が、遠回しに趣向について感想を述べちゃいますので、余談の欲しくない方は回れ右して下さい。その上で、続きを読むに沈めますね。

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ドラクエらしさ千年戦争

オンラインゲームであるドラゴンクエスト10でとあるコンテンツが実装されました。

その名を「アスフェルド学園」といいます。

どんなコンテンツかを説明するまえにスクリーンショットを見てもらうのが手っ取り早いですね。

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上手く撮れてないですが、他の画像が見たい方は検索してくださいね。

さあ、ドラクエ10の現役プレイヤーでない皆さん、これをどう思いましたか? 「こんなのドラクエじゃない」っていう人がけっこういるんじゃないかと思うんですが如何でしょうか。じっさいのところ、このコンテンツは実装前、計画段階でチラ見せされてから、ドラクエ10プレイヤー内外でかなりおおくの議論を巻き起こしました。多くが「ドラクエらしさ」みたいなものに言及していました。ドラクエ10はオンラインゲームであり、時間とともに新しいコンテンツが実装されています。新しいコンテンツが出来ると、この「ドラクエらしさ」なるものを拠り所として批判を加える層がかならずでてくるのです(これは公式の提案掲示板で観測できます)が、今回のこの「アスフェルド学園」はかなりその抵抗が大きかったコンテンツです。

このコンテンツをつうじて「ドラクエらしさ」について考えさせられました。あわてて先に弁明しておきますが、この記事は「ドラクエらしくないからダメだとかいいとか」ということを主張したいわけではありませんドラクエらしさ、という言葉がまきおこす感情についてちょっとメモしておきたいなと言うのがこの記事の目的です(なお「アスフェルド学園」そのものについては末尾にちょっと書いておきました)

まず、前提として、「どんなのがドラクエか」なんてのには万人が納得する答えなどありません。ここを間違えると不毛な言い争いでしかなくなります。これは大前提として、まずはぼく自身の、この言葉への立ち位置を、思い出語りを通じて測定してみたいと思います。

たとえば、過去を振り返れば、ぼくにはナンバリングタイトルで唐突に現れた「ディバインスペル」「マジックバリア」には失望した口でしてね。そこに「ホイミ「メラ」ラリホー」のエッセンスなどゼロです。なんで堀井雄二はこれにゴーサインを出したんだろう。ちゃんと見てなかったんだろうか。なーんて思っていました。まあ、こんなのドラクエじゃない、と言ったかどうかは記憶にはありません。

いっぽうでドラクエ8ではじめて3次元モデルを使った作品であることが明かになったとき、前評価はけっこう割れていたのを記憶しています。3次元であることじたいがもうドラクエだと受け入れられなかった人が確かに一定数存在していたんじゃないかと思います。ぼくに関して言えば、アニメとしてのデフォルメがちゃんとなされていたので、8に関しては「こういう進化はたしかにドラクエだなあ」なんてことを思ったりしたんです。これだけみても人が好き勝手言うドラクエらしさなんて、ファンの間でも割れるもんだよなーということが分かると思います。

そもそも、ドラクエ10がオンラインゲームだと発表されたときの、評価の割れ方もすごかったわけです。代表的なのが「ドラクエはひとりでやるものだ!」という意見です。

これに関してはぼく自身は明確な反論を持っていて、十分ドラクエらしいじゃないかと言いたい。というのも、ぼくが小学生だった頃、ドラクエは「ひとりでやるもの」ではなかったんですよね。プレイそれ自体は、ほぼひとりでやっていたのですが、学校に行っては自分の進行を友人と熱心に語り合いました。あれはまぎれもなく「なかまといっしょにドラクエ」をしていた体験に他なりません。記憶にはっきりとのこっているのはドラクエ2です。すいもんのカギには(なぜか)あまり苦労しなかったのですが、きんのカギがなかなか見つからなくて、なかなか教えてくれない友人を怨んだものでした。オンラインゲーム化のコンセプトの一つはその延長にあるんじゃないか、と解釈しています。ドラクエの世界を共有できる場所を作る、というのが堀井雄二の考えた「ドラクエ10」のドラクエらしさだと思っており、それはぼくにとっては違和感がなかったわけですね。ただ、そういった体験をしてきてなかったひと、そういった体験はしてきたがその延長にオンラインゲームはないと考えるひとがあれに「ドラクエみ」を感じないというのは理解は出来るところです。

そして。ドラクエ11です。先日イベントでドラクエ11の映像がかなり踏み込んで紹介されており、YouTubeにもその様子がアップされていました(公式映像ではないような気がするのでリンクはしませんさがしてください)。ドラクエ11はプラットホーム横断で、精細な3D、デフォルメされた3D、そしてドット絵2Dというコンテンツのビューを作り分けるというすごいチャレンジをしていますが、このYouTubeのコメント欄を見ると、ドラクエ10プレイヤーたちがざわついたのとにたようなざわつきの一端が伺えます。「きれいすぎてドラクエらしくない」。

ドラクエ8のときと同じような感想が結局また語られています。実際のドラクエ11はドット絵も用意しているのでこのコメントは理解不足での発言ではありますが、コメント欄を見ていくとおもしろいことに「ドット絵なんて誰も買わないと思ってた」という若いプレイヤーの感想も書かれています。これもまたドラクエらしさのエッセンスはどこにあるんだろう、ということを考えさせられます。そして根強い「オンラインじゃないよね?」という反発。ここには別の形で「ドラクエらしさ」のショーケースがあるように思います。鳥山明であればドラクエだろうか? しかし、ドラクエ7以降、鳥山絵はかなり減り、鳥山風の継承も怪しくなってきています。すぎやまこういちの音楽も必須でしょうか、堀井雄二の監修があれば保てるのでしょうか(どこまで監修してるのかな?)

ドラクエというのはものすごく強力なブランドです。作り手が「ドラクエらしさ」を考えずに作ってるはずもありません。しかしながら受け手には大きな幅を持って受け取られます。ドラクエらしさ」をコンテンツを叩くための武器ではなく、自分たちの愛を語るための道具として使ってみては如何でしょう。願わくば「こんなのドラクらしくな……いやまてよ、自分はドラクエのどこに魅力を感じていたんだろうか?」というような、ドラクエ語りがネット上にたくさん増えますように。

おまけ

ドラクエ10の「アスフェルド学園」を枕に使ったこともあり、このコンテンツへの評価も書いておきます。本論とは関係ないし、DQXプレイヤーにしか分からないので続きを読むにしずめておきますね。

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黒かわず句会

黒かわず句会でした。

  • なにかしら体温を感じさせる句
  • 手のひらを返したような状況を詠む
  • 季語「神の旅」
  • 頭韻もしくは脚韻を踏んだ句を作る
  • 光るもの・輝くもの
  • 季語「三島忌」
  • 実在の男優・女優の名前を入れる
  • 漢字「公」

今回は、個人的には「神の旅」が面白かったんですが、出題者はいまいち良い句が出てこなかったという感想でした。いい季語だと思うんですよね。

ビルの上にゐてさみしい神の旅  幽樂坊

なんというか、高いところから見渡す状況とつけたい季語なんですよね。どこか寂しさを感じさせる(さみしいって言ってしまってるけど)

別の方の提出句に

三島忌や鉄塔の影傾きぬ

というのがあるのですが、これ、個人的には季語を「神の旅」に替えたい。字数調整で前後を入れ替えます

鉄塔の影傾きぬ神の旅

影が傾いただけだとちょっと発見力が薄いかな、という気もしますが好みの句になりました。ぼくの句とくっつけてしまえ。もはやぼくの句でいいでしょ?(微妙)

鉄塔の影さみしくて神の旅

寂しいっていってしまってますが、寂しいことは自明でもないのでギリセーフかなと。

その他の提出句で外に向けて出せそうなのはこのへんでしょうか。

今日からはもう他人ですおでん煮る  幽樂坊

「手のひらを返したような状況」のつもりでしたが、状況力は低かったようです。何かを煮ている状況は、「背中」を感じさせると思うのですよね。その緩いつながりを書いてみましたよ。

牡蠣剝くたびに香川照之呻く  幽樂坊

男優句。これ、わりと景が見えやすいと思いませんか。香川照之ならやりかねません。密かに「か」の頭韻を踏んでいます。

冬ざれて公爵夫人の汚い字  幽樂坊

中七が字余りで、中八になってしまっているのあまり格好がよろしくないことが多いのですが、これはわりとリズムが崩れてないと思ってそのまま出しました。時に体温を宿す感じです(何を言ってるんだ)

さて今年はこれでおしまい。また良い句と巡り会えますように。